★ 春の境界線 ★
<オープニング>

「……桜、ね」
「咲いていたの。あまりに綺麗だったから」
「手折ってしまった、というわけね。でもわかるわ」
「病室にいる『わたし』に、春を知って欲しかったから」
 同じ口調の、微妙に異なった声が会話をする。
 銀幕総合病院は、穏やかな日差しに包まれていた。窓の外を見やれば、中庭で入院患者や見舞客が思い思いの時間を過ごしている。耳を澄ませばドア越しに、看護師の声や足音が聞こえる。
 五階にある個室には、少女が入院していた。ネームプレートには、『小山緋桜(こやまひおう)』とある。生まれつき肺が悪く、少し無理をしただけで発作が起きる……という設定だ。彼女はムービースターだった。映画のタイトルは「春の境界線」。主人公の妹役で、画面に映る時間は合計しても十分がせいぜいだろう。
 長い黒髪に、青ざめて見えるほど白い肌。学年で一番、程度には整った容姿をしている。いつもは陰鬱な色を浮かべている顔だが、今日は頬が赤らんで見えるほど興奮していた。
 病室には、同じ顔をしたもう一人の少女がいた。同じ外見なのに、快活そうな印象を受ける。髪はツインテイルにして、ブレザーを着ている。スカートはきわどい短さだ。手にした桜の枝を振りながら、学校であった話を面白おかしく脚色している。彼女も「春の境界線」に出てくるムービースターだった。役名はヒオウ。
 双子でも、他人のそら似でもない。「春の境界線」の原作は漫画で、映画は実写版とアニメ版の二通りがある。緋桜は実写版の登場人物、ヒオウはアニメ版の登場人物だった。
 原作にはちらりとしか登場しない役だから、それぞれのスタッフがオリジナル設定を加えた。その結果が病弱な緋桜で、快活なヒオウだ。
 最初はお互いの存在を知らなかったが、市役所で住民登録する時に似た名前を見つけたヒオウが、病院を訪れて今に至る。
 ヒオウから桜の枝を受け取ると、緋桜は顔に近づけた。優しい春の匂いがする。
「いいなあ。わたしも……」
 言葉を続けられず、咳き込む。ヒオウは背中を撫でた。発作がおさまったのを見て、ヒオウは声をひそめる。
「ねえ、緋桜。ずっと病院で寝たきりの生活なんて、生きているとは言わないわ。死んでいないだけ。だから、あなたも『生きて』みない?」
「……どういうこと?」
「簡単よ。入れ替わるの」
 にこりとヒオウは笑って、実力行使に出た。



 ともすればスパッツが見えそうになるスカートの裾を押さえながら、緋桜は銀幕総合病院の玄関を出た。
 ツインテイルを揺らして見上げれば、五階の廊下からヒオウが手を振っている。あんなに元気いっぱいだったら、すぐにばれるだろう。
 けれど、少しだけ。
 緋桜は小走りに、銀幕市街へと向かっていった。

種別名シナリオ 管理番号80
クリエイター高村紀和子(wxwp1350)
クリエイターコメント二度寝をしたらこんな夢を見ました。
二人のよく似た女の子が歩いていて、一人は実写版で一人はアニメ版。解説がなくても理解できるところが夢が夢たるゆえんです。
ここぞ銀幕市! というスポットを緋桜に教えてあげてください。ただし、病弱なのであまり無茶はできません。名物キャラにも会わせてあげたいのですが、都合上、参加者以外の人物は描写できないことになっています。
ネタに走ったものから正統派まで、幅広くお待ちしています。

参加者
クロノ(cudx9012) ムービースター その他 5歳 時間の神さま
七海 遥(crvy7296) ムービーファン 女 16歳 高校生
冬月 真(cyaf7549) エキストラ 男 35歳 探偵
刀冴(cscd9567) ムービースター 男 35歳 将軍、剣士
十狼(cemp1875) ムービースター 男 30歳 刀冴の守役、戦闘狂
八之 銀二(cwuh7563) ムービースター 男 37歳 元・ヤクザ(極道)
<ノベル>

「……不審だな」
 冬月真は呟いた。住宅街の真ん中で、制服姿の少女がとぼとぼと歩いている。今は春休み、それでなくとも浮ついた外見をしているから、昼間に学校以外の場所でお目にかかるのも不自然ではない。
 だが、刑事人生で培った真の勘が違和感を告げている。短いスカートの割にノーメイク。ぎこちない歩き方。なにより、不安が一杯詰まった横顔。
「何か探し物か?」
 近寄って、なるべく優しく話しかけた。少女はびくりと震える。脅すつもりはないが、いきなりのことに驚いているのだろう。困惑を顔に浮かべている。
「あの……わたしは、その……探して、いて」
「俺は冬月真、探偵だ。探し物なら手伝える」
「ええと、その、形のあるものではなくて……いえ、あるのだけれど……」
 話している彼女自身が、うまく目的を掴めていないらしい。抽象的な言葉が連なる。ほとんど泣きそうな顔になった彼女に、真は言った。
「俺は猫を探している」
「はあ」
 怪訝な顔をされても仕方がない。話題の振り方としては唐突だった。
「一緒に探さないか。難しい仕事じゃない。あちこち歩きながら、たまにまたたびと猫じゃらしで攻める」
 くすり、と少女は笑った。花がほころぶように。
「わたしでよかったら、お手伝いさせてもらうわ。そうだ、わたし、緋桜と言うの」
 名乗るのが遅れてごめんなさいね。囁くように付け加えられる。
 二人はぶらぶらと、町並みを歩いた。名前を呼びながら、塀の間や庭先を覗く。
 そうしている真と緋桜を、さらに見咎めた二人がいた。
「顔色悪いぜ、嬢ちゃん」
 縁の下を見るようにしてしゃがんでいた、緋桜に声をかける人物があった。
 両手にトイレットペーパーとエコバッグをぶら下げ抱えた、すらっとした男だった。背後に、似たような持ち物姿の優美な男が立っている。どちらもかなりの長身だ。
「あの……?」
「ああ、俺は刀冴。こっちは十狼」
「わたしは緋桜。こちら、真さん」
 歩み寄っていた真は、十狼を見て会釈する。
「お知り合い、ですか?」
「ああ、仕事でちょっと」
「お二人は、何をされているのですか?」
 十狼の問いかけに、緋桜は首を傾げた。
「猫探し……のはずだけれど、なかなかみつからなくて」
「そちらは、買い物帰りか?」
「駅前のスーパーでトイレットペーパーの特売をやっていてな。ついでに食料を買い溜めたら、この有様だ」
 ほれ、と刀冴は真に十二ロールパックを示す。
 緋桜はぽつりと呟いた。
「駅前……何があるのかしら」
「行くか」
 真は、尋ねるというより確認するように言った。緋桜は大きく頷き、それから我に返る。
「でも、猫を探さなければ」
「猫は賑やかな場所が好きかもしれないぞ」
 後押しするように、刀冴が片目をつぶる。十狼も重々しく頷いた。
「探し物は、意外な場所で見つかる」
「行くか」
「……ええ、そうしましょう」
 緋桜ははにかんだ笑みを浮かべて、真に従った。
 柔らかな日差しと、優しい風。鼻をくすぐる甘い匂い。
 病室の中で忘れていたものが、肌に触れた。
「春って……この町って……こんな風、だったのね」
「ムービースターなのか? それなら、春を迎えるのは初めてだな」
「春もだけれど、こんな風に町を歩くのも初めてだから、何もかもが新鮮だわ」
 真は眉を動かしたが、それ以上の反応は避けた。
「……普通の商店街、普通の公園、普通の町並み。そういうのも、たまに見ると新しい発見がある」
「そうね。何もかもが眩しいわ」
 ほてほてと、何気ない会話をしながら歩いていくと、繁華街に到着した。時期のせいか、老若男女大勢が賑やかに行き交っている。
「猫……いるかしら」
 久しぶりに見た人混みに、怖じ気づきながら緋桜は言う。腰が引けているのは、病人とばかり接していて活気に慣れていないせいだ。
「どこかにな」
 真が答えて、歩き出した時だった。
「ヒオウ! 何してるの?」
 ぽん、と緋桜の肩をたたく少女がいた。快活さがにじみ出た、可愛らしい女の子だ。肩にラベンダーカラーのバッキーを乗せている。
「買い物? あ、デートだった?」
 立ち止まってこちらを見ている真に気づき、小首を傾げる。
「そんな関係ではないの。ただ、銀幕市を案内してもらっていただけ。それと……わたしはヒオウではなくて、実写版の緋桜の方なの」
「噂の、病弱な緋桜さん? そっか。はじめまして、私は七海遥っていうの。よろしく」
「よろしく」
 そんな二人を見て、真は一歩下がった。
「……俺は、これで」
「行かないでください!」
 とっさに、緋桜は真の腕を掴んだ。
「一緒に……猫、探しましょう」
「病院を抜け出してまで、しなくていい」
 緋桜ははじかれたように手を引っ込めた。遥は不思議そうに見比べている。
「どうして、わかったの?」
「出会った辺りに学校はない。家に帰るのならここまでついてこない。それから、靴の裏に止血用パッチがついていた。最寄りの病院は銀幕総合病院。見舞客にしては顔色が悪く、地理に不慣れ。総合すると、先の結論になる。Q.E.D.だ」
「すごーい」
 遥が感心したように手を叩いた。
 緋桜は目に涙を溜めて、胸の前で手をもみしぼる。
「お願いだから、連れ帰さないで。わたしは、ただ、外を歩いてみたかったの。銀幕市ってどんなところか、知りたかったの」
「それなら」
 遥がにこりと、緋桜の腕を取る。
「案内するよ。えーと、ここからだと名画座がオススメだな」
「後は――」
 立ち去りかけた真を、遥はがっちりとホールドした。
「一人より二人、二人より三人。特にウィンドウショッピングの時は、頼れる男性がいてくれると嬉しいな」
「財布の中身は助けてやれないが」
「それでもいいの、一緒にいてくれて、話したりしてくれるのなら」
 すがる小犬のような目で緋桜が見るから、真は承諾した。
 遥が緋桜と腕を組んで歩き出し、真がそれについていく。
 他愛もない遥の話に、緋桜はいちいち驚いたり感心したりして聞き入っている。学校であったちょっとした事件、授業風景、そしてジャーナルに載らない裏話。
 白い天井ばかり相手にしていた緋桜には、どれも新鮮な話題だった。
 やがて三人が名画座の前に着くと、そこには一匹の猫が待っていた。二本足で立ち、知性を感じさせる瞳をしている。
「待っていたにゃよ。とくと堪能するにゃ」
「どなたですか?」
 緋桜はかがんで、目線の高さを合わせた。猫はひげをしごいて、名乗る。
「クロノにゃ。時の神様にゃ。緋桜が来ることがわかったから、案内に来たにゃ」
 ささ、とうながされて、女子達は名画座に入った。それとなく逃げるタイミングを探していた真も、一緒に招き入れられる。
 面白そうな映画が上映中だが、さすがに見ている時間はない。
「時は金にゃり、にゃ」
 後ろ髪を引かれつつも、ロビーの一画にある名画亭へ移動する。
 大正レトロな雰囲気の店内に、緋桜は歓声を上げた。クロノは尻尾をふりふり、壁に飾られたサインの解説をする。
 色とりどりのバッキーグッズに、緋桜は目移りしながらもぬいぐるみを選んでいる。
「でも、本物はもっと可愛いわね」
「だって、シオン」
 矛先を向けられ、ちょんとつつかれたバッキーは甘えるような鳴き声を出す。
 こういう場に、大抵の男は入っていけない。真は女の買い物のすさまじさをただ見守った。
 やがて、ラベンダー色のバッキーに決まった。会計が済んだ緋桜の頬に、疲労が浮かんでいるのを真は見た。
「茶ぐらい、おごる」
「にゃにゃ! ちょっと待つにゃ!」
 申し出ると、クロノは耳をぴんと立てて手をつきだした。
「お茶にするなら、我輩の喫茶店に行くにゃ。すぐそこにゃ」
 商魂たくましい。と思った人達もいないではなかったが、緋桜が乗り気なので野暮なことはしないでおいた。
 名画座を出て、聖杯通りへ。「時の振り子」という店は、クロノの案内がなかったら見付けられないような、隠れ家的な雰囲気を持っていた。
 奥に一人、先客がいるだけで店員も見当たらない。
「いらっしゃいませにゃ。こちらへ座ってくださいにゃ」
 三人がカウンターにつくと、クロノはメニューを出した。
『         お茶……¥300
  クロノ式肉球まっさーじ……¥500   』
 二行だけだった。
「「お茶で」」
 真と遥は即決する。緋桜はわずかにためらって、オーダーした。
「肉球まっさーじで」
 意外にチャレンジャーだった。了解にゃ、とクロノは緋桜の背後にまわった。
 ふにふにふにふにふにふにふに。
 柔らかく、それでいて弾力があり、人肌よりも温かい。見ているだけで伝わってくる、緋桜の恍惚感。
 至福の一時は、きっかり十五分で終了した。
「ありがとうにゃ」
「いいえ、こちらこそありがとう。気持ちよかったわ。お代は……」
「緋桜はタダにするにゃ。あ、お茶はちゃんと払って帰るにゃよ。ジャーナルを持っていたら割り引きするにゃ」
「あ、ある」
 遥は鞄から、銀幕ジャーナルの特別号を取り出した。そんなつもりはなかったが、一石二鳥だったようだ。
 緋桜が表紙を見て、けげんそうに首を傾げる。
「何かしら、それ?」
「これ? 銀幕ジャーナル。読む?」
「読ませてもらうわ」
 緋桜が腕を伸ばす。と、袖口が触れてカップが倒れた。残っていた中身が、奥にいた先客にかかる。
「すみません……!」
「気にするな」
 彼は青ざめた緋桜に言った。だが、どう見てもカタギには見えない。気にしない代わりに体とか臓器とかで払えと言われそうな雰囲気がしている。
 別の意味で卒倒寸前の緋桜。倒れそうになるのを真が支える。
 遥は先客を見て、限界まで目を見開いた。
「銀二さん! 本物の……じゃなくて、ムービースターの八之銀二さんですよね?」
「そうだ」
「サインください!」
 いつの間に用意したのか、色紙とサインペンをつきつけて、九十度のおじぎをする。銀二は苦笑しながら受け取り、さらさらと署名する。
「これでいいか?」
「ありがとうございます」
 家宝だ、と遥は色紙を大事そうに鞄におさめる。
 意識が飛びそうなのと混乱しているのとで朦朧としている緋桜に、真が説明する。
「彼は八之銀二、ジャーナルで見たことはないか?」
「あ……あの女そ」
「それ以上は言わないでくれ」
 最近備わってきた属性を言われそうになって、銀二は真顔で制止する。
 茶色っぽい染みができたパンツを見ていたクロノは、ひげをしごいて緋桜に笑いかけた。
「我輩が時を戻して、元通りにするにゃ」
 宣言した途端に、惨状はなかったことになる。ほう、と緋桜は胸をなで下ろした。
「すみません。クロノさんがいなかったら、取り返しのつかないことになっていたわ」
「そう思い詰めるな。汚れたらクリーニングすればいい」
 ところで、と銀二は話題を転換する。
「付き添いがいるとはいってもだな、病人が出歩くのは感心しないぞ」
「今日は特別なんだ」
 真が、要点をまとめて経緯を説明する。銀二はほう、と頷いた。
「それなら、とっておきの場所がある。杵間山へピクニックと洒落込まないか?」
 病人に、登山。上がりかけた反対の声を抑えるように、銀二は付け加える。
「緋桜君は俺が背負って運ぶ。遥君は……」
「私は大丈夫です」
「では、出発にゃ。お会計は合計で五百円にゃよ」
 もちろん、それは真の財布から引き算された。



 先頭は銀二に背負われた緋桜、次に遥、真でクロノがしんがりだ。というより、歩幅の問題からクロノは徐々に後れを取るようになっていた。
 じきに夕方になろうとしている。あまり時間をかけてはいられないので、真はクロノをおぶった。
 一直線に杵間山に登るのかと思ったら、そうではない。麓にある、つつましやかな古民家の戸を叩いた。
「いるか、兄弟」
 銀二が声をかけると、ややあって家人が現れる。
「よう、
「あら、先ほどのお二人ね」
 緋桜は偶然に目をしばたかせた。住人は、住宅街で言葉を交わした刀冴と十狼だった。
「これからあそこへ行こうと思ってな、ついでだから一緒に行くか?」
「もちろん、行く」
「少々お待ちいただきたい。夕飯を弁当にして持参しよう」
 慌ただしく、二人は準備を整える。
 そうして七人にふくれあがった一行は、山頂を目指した。途中で音を上げた遥を刀冴が抱え、重箱の入った風呂敷を十狼が振り分けて持つ。
 なかなかに険しい山道……というか獣道を、男達はざっくざっくと突き進む。
 夕陽が溶けて落ちて赤と濃紺のグラデーションが広がる頃、目的の場所に到着した。
「きれい……」
 思わず、緋桜は感嘆の声を漏らした。
 そこには遅咲きの梅と、早咲きの桜が、紅白桃と入り乱れて空を彩っていた。
「まあ、銀幕市っていうのはこういうところもあるもんだ。楽しんでくれ」
 刀冴と十狼が、手際よく準備を始める。穴場スポットなのでライトはないが、それでも花びらの白さで辺りは薄ぼんやりと明るかった。
 レジャーシートの四隅を石で押さえ、カンテラを灯せば、即席の宴会会場が出現する。
 刀冴家の夕飯となるはずだったメニューが、ずらりと並ぶ。無国籍というか、一つ一つの料理はおいしそうなのだが、ジャンルがごったで目移りしてしまう。
 刀冴と銀二は、日本酒を傾けながら話に花を咲かせる。
「地獄じゃ大変だったな」
「そっちは爆破事件に巻き込まれたんだな」
 緋桜は疲れたのか、桜の幹によりかかって上を見ている。十狼は水筒からお茶を注ぎ、緋桜に渡した。
「自家栽培のハーブティだ。疲労回復に効く」
「ありがとうございます。……おいしい」
 一口飲んだ緋桜は、笑みを浮かべた。
 真と七海は料理に舌鼓を打ち、クロノは尻尾をくゆらせて可愛らしい踊りを披露している。
 小鳥がついばむように料理に手を付ける緋桜を見て、刀冴は励ました。
「病気に、負けんなよ」
「はい。……あら? そういえば、今日は発作が起きていないわ」
 ようやく不思議がる緋桜に、
「最初に会った時、加減がよくないようなので体調を整える魔法をかけさせていだたいた」
 と十狼。
「時間を入れ替えて、『健康な』緋桜にしたにゃ」
 とクロノ。
「ってことは、緋桜はもう病人じゃないのか?」
「そうにゃ!」
 刀冴に答えて、クロノは尻尾をぱたふんと揺らした。
 緋桜は両手で口元を覆い、目元をうるませる。
「ありがとう……ありがとう……本当に、ありがとう」
「次は正式に退院して、ゆっくり観光しようよ」
 泣き出した緋桜を抱きしめるように、七海は胸を貸す。
「広場にジャーナル社、パニックシネマとカフェスキャンダルと目白押しにゃ」
「……そういう名所もいいが、住宅街も発見に満ちている。猫の目線になると、特にな」
「カフェダイニング『楽園』は上々の味らしいぞ」
「いや、あそこはおすすめせんが……女の子なら大丈夫かもしれんな」
 刀冴につっこみつつ、銀二は目をそらした。
 ようやく興奮がおさまった緋桜は、笑顔を取り戻す。
 さて、と十狼はしめっぽい空気を振り払うように声を出した。
「そろそろお開きにしよう。送っていく」
 撤収開始となる。
 十狼は息を吸い、召喚魔法を展開した。呼び声に応えて、漆黒の竜が来臨する。木々を傷めないように、空き地に着陸する。
「久しぶりだな」
 駆け寄った刀冴が手を伸ばすと、甘えるように頬をすり寄せる。
 誰が主人なのか小一時間問いただしたいところをぐっとおさえて、十狼はその背に全員を乗せた。
 ふわり、と竜は飛翔する。見る間に大地は遠ざかり、麓まで一望できる。二度三度羽ばたけば、市街地の明かりが綺麗だった。寒くないのは、刀冴と十狼のおかげだ。天人の周囲は、精霊の力が満ちているのでいつも適温に保たれている。上空でもまたしかり。
 短い飛行を終えて、一行は銀幕総合病院の屋上に着陸した。
 緋桜は軽い足取りでコンクリートの上に立ち、皆を振り返る。
「ありがとう。元気にしてくれて。ありがとう。それでは――」
「待つにゃ」
 クロノがストップをかけた。そして、どこから取り出したのかマイクを構える。猫の手で握るのは至難の業なので、両手で挟む。
 いつの間にか役割を任されていた真が、仕方なくチャイムを鳴らす。
 ぺんぽんぱんぽーん、と柔らかな音が、どういう仕組みか病院中に響いた。
「あー、あー、これよりクロノ・イリュージョンですにゃ。皆さま、窓から空を見てくださいにゃ!」
 何事かと、患者も医者も窓に群がる。
 クロノはマイクを置くと、手を叩いた。その間に生まれた光が、勢いをつけて宙へと上っていく。そして、小気味よい音をさせて夜空に花が咲いた。
 次々と花火が生まれていく。定番の菊先から始まり、型物がいくつかと銀冠。最後にナイアガラが、中庭へと降り注いだ。もちろん、魔法なので火事の心配はない。
 いつの間にか拍手が巻き起こる。



 二日後、すっかり元気になった緋桜は検査を経てめでたく退院となった。学年はヒオウより一つ下になるが、高校生としての新生活が始まることとなる。

クリエイターコメント色々なスポットを紹介してくださってありがとうございました。全部を拾いきれなかったのが心苦しいです。

お気に召しましたら幸いです。
公開日時2007-04-07(土) 14:00
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